映画の一場面 シノフィーク 今 未来 生きる

南方郵便機。マスターがネルドリップで注ぐのはルワンダのフレンチローストだったでしょうか。
その間僕はずっと下らないことを思い巡らしては笑って吹き出しそうになり、
でも隣にいたWater君はじっと見ているし、マスターも丁寧に淹れてくれているので、
「この世界観を、お店の空気を壊してしまうのでは? いや、しゃべって笑われるのもまたいいのでは?」
と結局は心の中にとどめておくことにした。

それらはすべてが、15秒程で完結されたギャグ映像である。
・丁寧に注がれ落ちる茶色い液体の下には口を大きくあけたお店特製の大男が潜んでいたり、
・丁寧に注いで、ずっとずっと。Water君と僕はずっとずっとマスターの淹れる姿を眺めていたら朝になっちゃって、とか、その映像がお店の外からゆっくりと8時間くらいかけて撮影されたり。
・淹れ終わった珈琲を潔く流して、「はい、では本番」と何事もなかったかのようにまた同じ豆で同じように淹れ始めて、で、僕らもそれが当たり前のように頷いて、また待つ。そうしている間に行列が出来て、でも、店内にはお客さんは誰もいなくて、

といってような類の本当に下らない映像である。

僕は常々、Water君を「可愛いもぐら」だと感じている。特に雪の季節は絵になる。
そして、やはりマスターもひとつのアニメーションの個性(=そう。キャラクターとはすなわち個性だ!)として登場する。

僕が女性について話す時のWater君のなんともいえない表情、を感じ取っての僕のこれまた曖昧なというかアンニュイか。そんな二人の距離感も素敵なぎこちない映像そのものである。

それにしても、新しく出来たケーキ屋さんで「疲れちゃった」と言いのける表情豊かな店員さんは憎めない。カップのレアチーズ。でもスプーンは入っていなくてWater君が取りに行ってくれる。でも、あったのは一つ。なにゆえに?!と思う。これはドラマかよ!と。最後の一本のスプーンで二人で大切にケーキを分け合う図を監督は指示しているのか? どこだ?監督は? と、映像の中の僕達は、「これは現実なのか? コメディーなのか? 単なる嫌がらせなのか?」と。結局は僕は紙でスプーンを作って一瞬紙の味のするレアチーズを口に入れるのだ。そして通りすがりのアンバランスな女性は僕と目が合って、まじまじと僕の持つへんてこりんな真っ白な紙スプーンを見つめるのだった。

「シノフィークってどんな?」
「それは楽園さ」

語感に敏感なWater君だから、「シノフィーク」という言葉は日本語に変換したら、「死」を想像させてしまうのでは?という怖さがある。しかも歌詞の出だしは「みんな生きてるかい?」だ。僕はなるだけ時流とは無関係なでもどこかで繋がり、さりげなく訴えかける歌詞を心掛けている。大体心掛ければ心掛けるほどそれらの楽曲には歌詞が付かない(苦笑) この「シノフィーク」は2000年の3月に沖縄に出掛けた前後に出来た曲。そして歌詞は2006年辺りから意識してつけ始めたものだ。だから震災とは関係ない。関係ないんだけど、やはりどこかで結びついてしまうだろうし、結びつけられることは致し方ないのだ。

でも。僕はただ単純にこの曲を口ずさむと僕自身が勇気を貰える。そして気持ちいいのだ。歌えば歌うほど歌詞も断片的にだけど纏われていって「いつか」という未来を感じることができるのが曲練りや歌詞練りの醍醐味。そして歌っているのはまさに「今」なのだ。今があって未来がある。

それは楽園さ。楽園が実は自分の中にあるということは分かっている。だからこそ自分自身が強くなろうと思うし、自分自身の笑顔や喜びから、人々に多少でも「生きてるって素晴らしいよね」って伝播してゆく、そういう存在になれたらな、って思う。

伝えたいのってつまるところそこに行き着いてしまう。だから生きる毎日を大切にしようってね。

いくる

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